それでは、[その5]をお送ります。
これまでのリンクは下記です
その1↓ その2↓ その3↓ その4↓旧ソ連製蒸気に会いに行く [その1] [その2] [その3] [その4]前回は、バイカル湖に沿った旧シベリア横断鉄道本線を、汽車の最後尾から眺めたところでした。
単なる観光客もいましたが、英国人やドイツ人と思われる、生粋の鉄道マニアが老人から中年まで結構の割合で乗っています。発車したあとの行動で、すぐにわかります(笑)
シベリア鉄道東西連結地点を後にした列車は、その後旧上り線の単線トンネルと、めがね型の石造りの擁壁のそばを通り抜けて減速します

シベリア横断鉄道旧線
2019/08/14撮影(以下同じため省略します)
ここを詳しく見たいな~と思ったら、仮乗降場になっていました。
この列車は蒸気機関車乗車ツアーなので、ツアコンが添乗しています。
で、その女性が、「次の駅で停まったら、イタリアンレストランで昼食なので、私がご案内します。下車したら、離れず私の周囲に居て下さい」と念を押します。 責任感の強い人なんでしょうね
下車した乗降場からの眺めです

イタリャンスカヤ ステンカ駅
複線トンネルとはまた別の断面の旧線単線トンネルですが、やはり煙逃しのためか独特の形態には違いありません
もしかしたら、ロケット砲を積んだ貨車がそのまま通り抜けられるようにしているのかも知れません
唐突ですが、このロケーション、東京の中央線市ヶ谷-四ッ谷にあった四ッ谷トンネル(現在の緩行線と急行線の立体交差あたりにあった)に似ているかも知れません(四ッ谷-信濃町間のトンネルは御所トンネルで、別物です)
添乗員さんはこの辺りでウロウロ、ツアー参加者全員が下車して、トンネルの写真を撮っているのを眺めていましたから、小生もつかず離れずで、迷惑をかけないように気を付けていました
と、突然“ボォーーー!!”と汽笛が鳴り響きました

突然、煙も高らかに上げて、SLと客車が発車してしまいました! 仕方なくやっと撮れたバックショットです!
ナゼナゼ、何で???列車が発車したのを見届けた添乗員の女性が、さあ、次の駅まで旧線を歩くわよ!と指示します
歩いて行く途中で、我々が全員降ろされて、汽車がカラで発車していった理由が判明しました。

途中で振り返ってここから眺めたところが、汽車の止まっていたところです。
フォトランバイと言って、ツアーに参加した人だけが、沿線で汽車の走るところを撮影出来るように設定されていたポイントだったのです(号泣
この、汽車が発車した時に、鉄柵と線路の間のベスポジに、確かに青色のポンチョを着た中年のおっさんが一人だけいました。何と勘のいい奴!
その他大勢の同業者は、口をあんぐりと開けて汽車を見送るだけだったのです(爆笑) 小生もその一人でした
もうガックシ来て、腹も立ちません…トホホ。 沿線を歩きながら見た施設

複線時代に使われていたガーダー橋
リベットで止められていますから、それなりの年代物ですね
複線時代に使用されていた単線トンネル

現在線は、トンネルだったものが、開鑿されていて、いまは切り通しになっています。
廃線トンネルの方が建設が新しいことが、石積みの継ぎ目でわかります
そして、ここが「102km停留場」。 ここで、フォトランバイのために先行していた汽車が待っていました
それにしても、ロシア鉄道がきちんとフォトランバイまでダイヤで用意していながら、現場の添乗員が全くそれを理解しておらず、ほとんどの乗客が唖然として見送ったことはなんという失策でしょうねえ。英国から来たマニア老人などは大層悔しがっていて、この後やけ酒あおっていました(笑

シュミハ停留場
イタリアンレストランがありました。余りのガッカリに、料理の味も覚えていません
味もわからないまま、徒歩移動に加えて食事合わせても僅か70分の停車で、汽車はこの停留場を出ました

ウラノボ駅
そして、周囲にバイカル湖以外何もない、この小駅で1時間39分のバカ停です。
背向重連の機関車が、カマを整えています。
正面ショットです。

現在は単なる信号場みたいな扱いですけれど、かつては幹線だっただけあって、全部で4線あったみたいでした(小川を渡るプレートガーダーで確認)
鉄道マンは、撮影者のために煙を上げたり、ドレンを切ったり気配りしてくれるのですが、添乗員の何とアホなことよ…
することがないので、少し離れて雰囲気を…

こんな駅で99分も停まるんだったら、ここで昼飯にしてくれよ~
そうしたら、さっきのポイントでフォトランバイを撮影出来たのに…
といつまでもクヨクヨする小生でした。
[その6]に続きます(未アップ)
Topic:鉄道写真 - Genre:Photo
- 2019/09/18(水) 18:29:13|
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前回は、石のアーチ橋や、トンネルのある、アンガソルカ駅までのシベリア横断鉄道SL列車の旅でしたが、今回の更新は乗車中の景色を中心にお送りしたいと思います
リンクは下記です
その1↓ その2↓ その3↓ その4↓ その5↓旧ソ連製蒸気に会いに行く [その1] [その2] [その3] [その4] [その5]アンガソルカ駅を発車したSL列車の最後尾に陣取り、後部を見ます。
トンネルに入りました
2019/08/14撮影(以下同じため省略します)
単線化されていることがありありですね。何てことない普通の断面のように見えますが、これはシベリア横断鉄道としては珍しい形をしているので、開通時のものではありません。恐らく、旧トンネルが災害発生などで路線変更され、新たに掘られたトンネルです
トンネルを出ました

DLの補機もないSLが牽いているので、煙も本格的です。
トンネルポータルの左側に、旧線敷が見えます。やはり路線変更された区間だったのですね。
バイカル湖は、海溝が持ち上がった湖なので、急斜面の崖が続きます。恐らく、旧線区間はそのまま湖にずり落ちてしまったのでしょう
少し離れて見ると

路線変更区間で、線路がぐいっとねじ曲げられているのがわかりますね
国鉄時代、奥羽本線が複線化された時に、このようにねじ曲げられた区間がありますが、複線化直後に特急つばさが脱線した笑えない事故もありました
別のトンネルを出ました

この断面が、本来のシベリア横断鉄道のものです。力学的には丈夫とは言えませんが、汽車の煙を逃すために天井を高くしているのでしょうかね??
まあ、役に立っているのはここの路線だけですけれど。
トンネルを抜けたら、カーブした橋梁に差し掛かりました

汽車の走っているのが、本来の下り線、左手の石橋が本来の上り線です

100年以上経っても、まだまだ使えそうです。
今度は災害復旧工事中の現場を徐行で通過です

湖に落ち込む急斜面から、石の混じった土砂が大量に崩れています。
重機がうなりを上げて復旧工事中です。
こんなひどい災害路線で、しかもかつての本線とはいえ、現在は盲腸線になっており、いつ廃止されても不思議はないと思います
別のトンネルを出ますと…

複線時代の名残のプレートガーダーが残っています
線路幅が、新幹線よりも更に広いロシアらしい眺めですね
海縁の地点に止まりました


機関助士が石炭を整理しています。
自動給炭機はないのでしょうね
この地点ですが

元々駅ではないようですが、簡易ホームと、東屋があります
背後に見えるトンネルに近寄って見ましょう

右手が旧下り線トンネル、左手が旧上り線トンネルで、現在は廃線です
ここは単線並列トンネルだったみたいです
旧下り線トンネル

1911年完成と彫ってありました
旧上り線トンネル

1904年完成と彫ってありました
こちらが最初に単線で開通したみたいですね
右上の白い看板に気付きましたか?
何て書いてあるか拡大して見ましょう

キルキレイ第三トンネル
「東西から延びてきたシベリア横断鉄道は、1904年にここで繋がった」
そうです。ここで始めてシベリア横断鉄道が一つになった記念すべき地点です。バイカル湖岸は、それくらい険しくて急峻だったのですね
因みに全通前の数年間は、冬季に氷結したバイカル湖上に枕木と線路を敷いて(バラスは要らなかったでしょう)、東西のシベリア横断鉄道を直通させたそうですよ。スゴいですね!
当時連結されたレールです

ロシア製の30kmレールです。
シベリア横断鉄道は、ここバイカル湖畔で繋がったのですが、日本の東海道本線はどこで繋がったか?
それは、当時金谷-菊川間にあった牧之原信号場と、菊川駅の間、菊川橋梁近くの築堤の部分で、現地ではかけつぎなどと呼んでいます。明治22(1889)年のことですから、距離は違いますけれど、シベリア横断鉄道よりも古いですね
廃線となった全通トンネルを抜けて振りかえると…

複線断面ぽいですけれど、単線で開通して、複線化されることはなかったように見えます
その続きの線路敷です

単線化されてかなりになりますから、廃線のベテランですけれど、思いの外線路敷が残っているのは、雨量が日本より少ないからでしょうね…
連結地点の停留所を発車しました

廃止された複線のトラス橋を横目に通過です
小駅に保存機関車があります

冷戦の名残で、ソ連末期まで予備車として現役だったはずです
[その5]に続きます(現在作成中)
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- 2019/09/05(木) 12:22:55|
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リンクは下記です
その1↓ その2↓ その3↓ その4↓ その5↓旧ソ連製蒸気に会いに行く [その1] [その2] [その3] [その4] [その5]前回はイルクーツク駅から電気機関車に牽かれて、スルジャンカ駅へ到着するところまでをお送りしました

L(Л)3634+L3485+PC2B 926レ シベリア鉄道スルジャンカ駅 2019/08/14(以下同じため省略)
今回は、蒸気機関車が先頭に付き、いよいよ旧線の非電化区間に入ります。
ここからは、一度も乗車したことのない区間なので、期待にわくわくします。
背向重連ですが、日本の重連みたいに、各帰還者が汽笛を鳴らすのではなく、先頭のSLだけの汽笛一声で発車です
発車すると…

DLの補機もなく、SL重連の煙がもくもく車窓を遮ります
窓外には、スルジャンカ貨物駅(正式名はスルジャンカ-2駅)にて、長物車の編成が止まっています
ソ連時代は、旅客車両もこのような緑色に塗られていましたが、現在は明るい色に変えられています
そして、バイカル湖を見下ろす景色の良い駅に初めて停車します

バイカル港支線 アンガソルカ駅
バイカル湖は、日本海溝のような海溝が、隆起して、周囲の改訂が干上がっても、海溝の部分だけは水が残って湖になったので、大変深いことが知られています。最深部は1,600mくらいの深度があり、世界一の透明度を誇っていますが、昭和時代までは、我が北海道の摩周湖も、透明度はここと世界一を争っていました
海溝が隆起したので、湖に向かって急に崖が落ち込んでいるのがわかると思います。そのまま、湖の中もどんどん深くなって行きます。日本でここまで急峻な地形はそうそうないと思いますが、青ヶ島だとか、台湾の東部沿岸(花蓮北方)がこれに近い地形だと思います
歩いて少しスルジャンカ方向へ戻ると、川にかかる橋があります

左: 旧下り線のコンクリ橋、 右: 旧上り線の石橋
この区間は旧シベリア横断鉄道本線だったので、複線だった時代がありましたので、2本の橋梁が並行しています
まず、1904年頃右手の石橋が作られ、約10年後複線化される時、左手の橋が作られました
橋梁の構造に、作られた技術の進歩が窺えます。現在は行き止まりのローカル線化されており、左側の新線だけ使って単線運転が行われています。山陰本線の須佐-宇田郷にある、惣郷川橋梁に似ていますね
上の写真の奥に、トンネルが見えています。接近してみます

この区間は旧上り線は単線トンネル、旧下り線は崖の縁を、抜けています
恐らく、複線化の時に湖岸を埋め立てて、敷地を作ったのでしょう
トンネルの観察です

現在は廃止されたトンネルです。この時代のロシアのトンネルは、馬蹄形断面ではなく、上辺がとんがったような特異な形をしています。上部は恐らくSLの煙が抜けるように、下部は保線区員が退避出来るようになっているのかと思います。ですから、内部に日本みたいな退避スペースはありません

ローカル線とはいえ、コンクリート枕木化されています
戻って、列車正面に回ります

背向重連になっている理由ですが、この支線の終点、バイカル港駅にはターンテーブルがなく、転車が出来ないためだと思われます

週休止中の機関車です。ロシア語が厳めしいですね
銘板です

1953年製のように読めます。まさにソ連時代まっただ中です
では、次の駅に向けて出発時刻が近づいて来ました
旧ソ連製蒸気に会いに行く[その4]に続きます
Topic:鉄道写真 - Genre:Photo
- 2019/08/24(土) 12:57:57|
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その1↓ その2↓ その3↓ その4↓ その5↓旧ソ連製蒸気に会いに行く [その1] [その2] [その3] [その4] [その5]スルジャンカ駅です。

1900年頃の開通の当時のままと思われます。この周辺のトンネルも、大体同じような石材で作られています
ロシア語で書かれていますが、読み方を覚えると、さほど難しくはありません。ギリシャ語に良く似ています
先ほど工臨の向こう側をモスクワ方へ引き上げて行ったSLが、今度は転線してこちらへ向かって来ました

架線焦がしながら接近しますが、シベリア横断鉄道の全線電化は意外に新しく2000年前後ですから、蒸気やDLの活躍する場面は、比較的最近までありました

ここでダッシュをかけて…

ブオォーっと接近します。

DLの補機を付けるみたいなヤラセ汽車ではなく、かつてシベリア横断鉄道で活躍したSLがダブルでたった2両の客車を牽く、贅沢な企画です
間近に来ました

L(Л)3485+L3634の背向重連です。
このこの機関車は全部で4,199両製造されたと[その1]で書きました。どちらも3000番台ですから、比較的後期の製造になります。銘板確認しましたところ1953年の製造でしたから、C62あたりと同年代でしょうか
先頭に赤い星があります

ソ連の蒸気機関車の特徴です。共産国の象徴だったソ連国旗も真っ赤な色に、ワンポイント入ったものでしたので、象徴とも言えますね
機関士が、身を乗り出して前方に待つ客車との距離を測っているところです
バックショット

動輪は赤く塗られています。先輪1つ、動輪5つ、従輪なしの構成です。
ソ連では7動軸の蒸気機関車も試作されましたが、脱線したり線路破壊したりで、量産されることはありませんでした。日本の型式で言えば、(テンダー付きなので)「G50」にでもなっていたところでしょうか
背後にフレートライナーが見えますね
客車に接近して…

この後連結されました。

停止したので細部の観察です。ボイラと動輪の間に広い隙間がありますが、人が入って点検するためだとか
よく見ると、中央の車輪にはフランジがありません。急曲線への対応でしょう。奥羽線の板谷峠や北陸線の倶利伽羅峠で活躍した日本のE10も、同じようになっていたと思います
先ほど背後に見えたフレートライナーが出て行きます

日本でいうところの福山レールエクスプレスや、西濃カンガルーライナーなどに当たるのでしょうが、編成長が段違いで、その迫力には圧倒されます
ソ連時代は鉄道の撮影は厳禁とされてました。でも、当時ビデオを撮りまくっていましたが、怒られることはありませんでした。その代わり、ホテルでビデオテープが1本抜かれていて、恐らく、KGBに取られたのだと思います(無事なテープもありました)
旧ソ連製蒸気に会いに行く[その3]に続きます
↓
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Topic:鉄道写真 - Genre:Photo
- 2019/08/21(水) 11:56:50|
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皆さまこんばんは。
鉄道の世界は広くて、これまで1990年代初頭の中国に蒸気機関車に乗りに行ったり、ソ連時代にシベリア横断鉄道に9,000km乗車してモスクワまで行ったりしたことはありましたが、ソ連やロシアの蒸気機関車の乗車したことは、一度もありませんでした
ところが、最近になってビザ取得の要件が緩和され、事実上個人旅行に近い形で日程が組めることになり、念願かなって長年の目的を達成することが出来ました
ただ、オチもあるのですが、それは追々ご披露することにします
ところで、現在の日本で蒸気機関車と言えば、保存蒸気に決まっていて、SL末期に消えゆく車両を惜しんで動態保存していたり、あるいは静態保存されていたものを観光目的に復活させたりしたものがほとんどです
ところが、ソ連(ロシア)の場合は事情が少々違います。
冷戦時代、米国を中心とする資本主義掲示諸国に対して、旧ソ連を始めとした東欧などとの間には鉄のカーテンがあって、いつ第三次世界大戦があっても不思議はない雰囲気がありました。
既に動力近代化は着々と進んでいましたが、西側諸国に石油など経済封鎖されても、列車を動かせるように、ソ連崩壊時で1,000両もの蒸気機関車が稼働できる状態で保管されていたといいます。1000両というととても多く感じますが、日本のD51の製造両数が1,115両ですから、広大なソビエトの領地を賄うには、それくらい必要だったということでしょう
このため、期せずして大量の活きた蒸気機関車が20世紀末期まで残っていて、各所の展示や動態保存に繋がったのです。残った原因が観光ではなく、戦争だというところが、シニカルですね
今回、バイカル湖沿いのシベリア横断鉄道旧線区間でL型SLの旅客列車が運行されているのをキャッチし、乗車/撮影して来ました
最初に今回乗車した蒸気の写真を一枚

このL型蒸気機関車(ロシア語では「Л」)、機関車“Locomotive”のLではなく、開発者の名前から取ったものだとか。また、ソ連時代の1945年-1955年に4,199両製造されたといいますから、D51の4倍の両数になり、やはりスケールが違います
上記写真には、客車が2両繋がっています。このSLに乗るための列車は、シベリア横断鉄道のイルクーツク駅から出発しますが、現在は完全電化されているため、SLが待ち受けるスルジャンカ駅までは、電気機関車の牽引です
朝の集合時間にイルクーツク駅で乗車します。乗車した列車の機関車はこれ

EP1P(ЭП1П)電気機関車+PC 2019/08/14撮影(以下同じです)
この電気機関車は、2006-2007年に製造された、1車体の旅客用です。
正面は洗練されたデザインになっていますが、側面の野暮ったいデザインが、やはりロシア製だな、と感じます
この列車でSLの待つスルジャンカ駅まで、シベリア横断鉄道本線を2時間半くらい乗車します
最後尾からの風景

ロシア鉄道は、右側通行です。ですから、中国北京からモスクワまで直通する列車は、中国国内は左側通行ですが、ロシアに入ると、右側の線路を走るようになります
保線区員が線路際に立っています。この山越えの区間は、コンクリート枕木で、部分的にロングレール化されています。編成の長い重量貨物列車が走るため、重軌条となっていますが、軌間が広い(1520mm)ため、細く見えるから不思議です
バイカル湖が見えて来ます

路線は山の中腹ですが、湖岸にこれから汽車で走る、非電化の旧線区間が見えて来ます。クルトゥルの街です
28年前に同じこのシベリア横断鉄道を逆方向からモスクワまで乗車した時、この旧線区間を同じ場所から見下ろして、いつか来たいと思っていましたが、念願が叶いました
と、

電気機関車とすれ違います!
3車体が二つくっついています

3ES5k(3ЭС5k)型+3ES5k型 重単
なんと重単の貨物用電気機関車でした! パンタが両方とも上がっていますから、無動力回送ではありません。補機運用の返しでしょうか
6車体あると、見映えがしますね
今度は重量貨物列車とすれ違いました

VL80(ВЛ80)型電気機関車+FC
これは旧ソ連時代から活躍する機関車で、以前はモスグリーンに、赤色の細い帯でした。ソビエトが崩壊してから、明るい色に変わりました。基本2車体だったはずですが、組み替えて変形3車体に改造されています。中間の運転台はライトも塞がれ、引通し線も通されており、中間押し込めで固定されています。きっと先ほどすれ違ったような、新系列の電気機関車に出力を合わせたのでしょう
貨物は続きます

有蓋車や無蓋車など、雑多な貨車が混結されています
本来シベリア横断鉄道はバンバン貨物が来るのですが、この辺りはバイカル湖の北岸を通行するBAM鉄道(バイカル-アムール鉄道)がバイパスのように開通しているので、28年前に乗車した時よりも思ったほど多くはありません
更に続きます

延々と続き、これを単機で牽引する電気機関車は、ものすごいパワーですね
最後尾に車掌車は、ロシアでも、ありませんでした
スルジャンカ駅が近づき、右側からこれから乗車する旧線が接近します

単線のトラス橋が目立ちますが、その手前にも単線の線路があり、こちらにはガーダー端がかかっていて、複線を構成しています
向こう側が、モスクワ方向、手前がウラジオストク方向になります
これでわかりやすいでしょう

左の下り線がガーダー橋、右の上り線がトラス橋で、この構成は、室蘭本線の由仁夕張川橋梁に良く似ていますね
よく見ると、右側のトラス橋の手前に車止めがあり、ローカル線に転落してからは、単線運用になっているようです。どうして室蘭本線の沼ノ端-岩見沢間には、複線区間が結構残っているのでしょうね?
そしてスルジャンカ駅に到着する寸前、工臨が中線に停車している脇を、ブラスト音が響きました!

これからこの列車に連結される旧ソ連製L型(Л型)蒸気機関車が背向重単で回送されていくところでした!
きょうはここまでです。
リンクは下記です
その1↓ その2↓ その3↓ その4↓ その5↓
旧ソ連製蒸気に会いに行く [その1] [その2] [その3] [その4] [その5]
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- 2019/08/20(火) 20:13:46|
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